前回の続きです。
嫁は子を産むマシーンなのか
義父は続けて私にこう言ったのです。
『ameriさんは子供を産んでくれればいいんだよ。
孫の世話は私がしますから。むしろ、孫の面倒は私にすべて任せてもらうということで一切面倒みなくていいからね。
抱かなくてもいい。私が育てますから。
ameriさんたち(夫)は若いから、お金稼ぐことが仕事です。
PC出来るんでしょ?
だったらその辺のパートに出るのではなく、PCの仕事(事務職)をする仕事に出てもらって稼いできてもらいたいんだ。
残業は遠慮なくしてきてくれていいよ。
むしろ、遅くまで帰って来ないでもらいたいんだ。
ただ家事はやってくださいね。
お母さん(義母)が可哀想だからお母さんと一緒にお願いします。』
・・・・。
20年経っても一語一句忘れていない自分が異常とすら感じます。
でもそれだけ私はこの感情を無視してため込んでしまっていたのだと、これを書きながら気づきました。
今書いていても、やっぱりヘドが出そうなムカつき感があり涙が溢れててきます。
間取りは義父が決め、そのお金は私たち息子夫婦が払う。
私が子供を産み、自分(義父)が育てたいから、嫁は抱く事すらしなくていい。
だから仕事をして、遅くまで帰って来ないで。
ただ家事はやってね・・・って。
嫁をなんだと思ってるんだ。
どれ程ニコニコした穏やかな表情だったとしても、これだけ心がない言葉を女性に言える義父は、根本的にどうかしていると思います。
嫁は孫を産むだけの機械なのでしょうか?
もしこれが国会議員の発言で世に向けてポロっと言った言葉なら、世の中の人はどう言ったでしょうか?
私しか聞いていないこの言葉に、私は20年悩まされました。
ずっと無意識に『団塊の世代のおじさんは嫌いだ』と思い続けていた原因はこれだったのか・・・と。
私は実父(義父と同年代)のことは好ですし、私が独身の時はお偉い方々の秘書をやっていたこともあり、おじ様や引退されたおじいちゃま世代の上司と大変仲良くやっていて、全く嫌いではなかった団塊の世代のおじ様方。
いつの間にか大嫌いになっていました。
自分勝手で、自分のことしか考えていない。
自分が正しいとしか思っていなくて、自分の一言で世間はどうにでもなると思っている。
世間で男尊女卑の言葉を口にするジジイ政治家などを見ると
『早く辞めろッ!クソジジイ!ジジイは嫌いだ!』という暴言が頭に出てきて、イラっと来ました。
実父の事は好きなのに、どうしてこんなにも『おじさん(おじいさん)』を嫌う気持ちがあるのだろうかと不思議だったけど、その根底が義父にあったとは・・・・。
もし私が、この時の不快な気持ちを夫や親、友達に吐露していたら、私の人生は違ったのかもしれません。
義父の言葉に私は本当は深く傷ついていたのですから、自分の傷ついた気持ちをスグに癒してあげたら良かったのだと思います。
でも当時の私は傷ついた自分(心)を無視して、自分の中にしまいこみました。
誰にも言わず、蓋をしたまま20年過ごしてきました。
結婚前にこれを実父母に話したらきっと破談になったでしょう。
だから聞かなかった事にしたのです。
いいえ・・・・。
破談になるかならないかは、自分次第です。
モメたかもしれないけど、親に反対されたとしても、破談になるかどうかは自分次第だったのに、私は『破談になる』と決めつけて自分の気持ちにフタをしました。
あの時、心の中の自分が『この家に嫁ぐのは間違いだと思う』と私に言って事を今思い出します。
でもそれをスルーしたのは、自分自身でした。
義父の要望を一切聞かない現実
こんな事がありましたが、私はこの義父の希望を一切受け入れず、すべてを無視しました。
同居したら私の結婚生活、これからの人生は終わる・・・と思ったから、義父から離れる事を選択しました。
初めて義父と逢ったこの日の夜、夫から電話が来たことを覚えています。
その時、何も知らない夫は嬉しそうに
『どうだった?』
と聞いてきました。
でも私は嬉しい返答が出来ませんでした。
様子がおかしい事に気づいた夫が、問いただしてきたので、義父が言ったほんの一部を話し
『同居はしたくない』
とだけ伝えました。
「長男は同居」と洗脳されていた夫は、そこから困惑の日々が始まりました。
『お前は同居だ』とずーーっと言われ続けてそれを受け入れていた夫は、私と義父との考え方の違いにもがいていました。
それと同時に、義父も義父でずっと不安にかられたのだと思います。
20年、言い続けましたから。
夫は悩み続けていましたが、夫の友人で結婚して自分の実家に住んだ人は一人もいません。
更には、職場の定年間際の女性社員から(ご自身が同居で苦しんだ)
『同居なんてするもんじゃない』
と言われ、父から言われ続けた言葉は、現実の社会で当然ではないみたいだ…という事にようやく気づきました。
夫はどこまで世間知らずなのかと思いますが、それが幼少期から言われ続けた人の頭の中なのでしょう。
田舎ですし、夫実家のご近所、夫の親戚はすべて長男家族が同居していますから、夫にとってはそれが普通だったのかもしれません。
夫の身内で、長男なのに親から離れて住んだのは、私たちが初めてですかれね。
私たちは実際に結婚するまで1年かかっているのですが、婚約中の1年間で夫は義父と大喧嘩をして同居という選択をしない生活を選びました。
私たちは実家から車で1時間以上かかる離れたところに住んでいます。
それならばいいじゃない・・・とここだけ聞いた人は思うでしょう。
でも、義父はそれでは終わらなかったのです。
20年間ずーっと、言い続けてきました。
将来どうするんだ。
家はいつ売るんだ(新居に越した当初から)
その家は貸したらいくらになるんだ。
子供が小学生までには帰ってきてくれ。
その言葉は、わが家の子供にも向けてくるようになりました。
『お前は、ここの家に住むんだよ。
早くこっちに帰っておいで』
・・・と。
そして義父の念はわが家に飛んでくるようになり、こんな言葉を“勘”が良い何人もの人に言われています。
『この家、重い念がある・・・身内の人の気持ちみたい・・・生きているみたいだけど』
と・・・・。